米田理事長:2024 年度高岡青年会議所の対外的な運動、取り組みとしては大きく三つあります。「ビジョン策定」、そして「ひとづくり」、「まちづくり」です。地域の課題解決と人財育成というテーマで、経済で勝負できる高岡の創造ということで今取り組んでおります。
まず、「ビジョンの策定」です。これは 2024 年度高岡青年会議所の一丁目一番地に据えさせてもらっているものです。 よく市民の方々から高岡は何もないと聞きますが、とにかく高岡のまちにアイデンティティを持ってもらいたいという想いから、共通のビジョンを策定することにしました。 多くの組織は、自分の目指す組織像としてビジョンを掲げがちですが、そうではなく、誰もが一緒になって目指せるまち共通のビジョンということで、青年四団体や高岡市役所の方々、高校の先生方、 また各企業の方々、スポーツ関係の方々と様々なディスカッションをさせていただいて、高岡のまちがどういった方向に向かえばいいのかということを今取り組みとして進めているところです。ビジョン策定会議ということで、いろんなステークホルダーを巻き込んでの会議が全 6 回あり、現在第 4 回まで進んだところで、課題感というものが大きく見えてきました。そして、今後しっかりと言語化していく段階にあります。
次に「ひとづくり」です。地域の課題解決と人材育成ということで、2026 年までに 650 件の創業と開業を目指すこの高岡市ですが、やはりベンチャー企業の生存率にはまだ大きな課題が残ると思っています。富山県知事は、 「上場企業のスタートアップを目指す」などと言われますが、そうではなく、高岡としては、まちの課題をビジネスで解決できる人材というものを発掘していき、 ただ単独で解決するというよりは産学官金や行政を含めて、連携を取って解決をしていく、そういった事業を今回やっていきたいと考え進めているところです。 その事業の一環として、今高校生と地元企業、特に製造業と飲食店をつないで、新たな商品を生み出していく、 そんな取り組みをしています。この活動を通して、 高校生の方々に商売をすることや商品開発をすることへの意欲をもたらすことと同時に、高岡の地に愛着を持って何か高岡にできることはないかと考える、そういう心を育んでいくような事業を今展開しているところです。実際に商品化を行い、10 月に御旅屋人マーケットが開催されるということなので、今そこで商品を披露することを目指しているところです。
最後は、「まちづくり」です。テーマは、経済で勝負できる高岡の創造ということです。近年、北陸は高付加価値旅行者の誘客に向けて集中的な支援等を行うモデル観光地11地域というものに選ばれています。高岡は伝統産業や歴史文化、 自然、 特に食やお酒など魅力的なものがたくさんあるので、いい追い風になるのではないかと思っています。しかしながら、先の震災によって、北陸への観光客が減少傾向にあるということもあり、この高岡になんとかインバウンド旅行客を誘致するような動きができないかということで、進めさせていただいています。高岡のオリジナルのツーリズムというものを作っていくというところを今目指しています。具体的には、今年の8月頃に高岡の欧米系の ALT の先生を招いて、高岡のまちを散策していただいて、どこに魅力的なところを感じたのかを伺うなど実験的に行い、実際にステークホルダーの皆さんにそれを来年以降に商品化してもらい販売していくことを計画しております。今年は大きく三つ取り組んでおります。
角田市長:まず、 ビジョンについては JC のテーマである 「共感の力」 、 この視点がないビジョンは絶対に良くないと思っています。JC の OB としても、JC だけでビジョンを策定するのは良くないということをずっと言っています。全 6 回のビジョン構想特別委員会の中で様々なステークホルダーの方と共に活動する際に大事にしなければいけないのは、意見を聞くことだけではなくて巻き込むこと。この人たちに何をやってもらうのか、 共に活動する以上、あなたも何かやってくださいっていうところまで持っていかないと、共感は生まれないと思っています。例えば、市民の方が、こういうことをしてほしいと私(市長)に言う、それを 「分かりました、 やります」 と言って、 市の職員に指示して、 市の職員がやりました、という流れでは市民も市の職員も全く成長しない。 そうではなくて、 一緒にやりましょう、という風に巻き込んでいくことで市民の力も上がるし、同じ方向を向いて、同じ目標に向かって進む原動力に変わると、僕はいつも思っています。 様々な人の意見を聞くというのはすごく大事なことなのだけど、意見を聞いて、 そのビジョンを達成するために自分たちだけで動くのではなく、 共に動いていくということを「まちの共通ビジョン」をつくるうえで重要にしてほしいと思っています。
僕は 「持続可能な未来都市 高岡」 というビジョンを打ち出しています。 持続性であったり、高付加価値を生みだそうとしたり、 子どもたちのために持続可能な社会を残そうとか、未来に向けて高岡を変えていこうという想いでやってきた中で、 僕が言っている 「持続可能な未来都市 高岡」 というビジョンに対し、 今みんなが同じ方向に向かってくれつつあると思っています。市長が何をやろうとしているのかということよりも、持続可能な未来都市とはどんなまちのこと言うのだろうか、自分たちはそこに対して何ができるのだろうということを考えてもらうだけで、 ベクトルは合ってきます。ビジョンというのはそういうものでないといけないといつも思っています。
誰からも「良い」 と言われたいと思いますが、 そこにとらわれてはいけない。 各団体が「なんだよ JC、俺たちだったらもっとこうするぞ」というので、お互い刺激しあって、しのぎを削ってきたこれまでの時代から、 「共感」をテーマに一緒にやろうというように時代の流れは変わってきています。こうした時代の流れに対して JC として、自分たちの組織自体が変わらないと、共感は生まれません。青年会議所だ、YEG(高岡商工会議所青年部)だ、伝産(高岡伝統産業青年部)だ、インパルス(高岡市商工会青年部)だ、というそれぞれの枠組ではなくて、 枠組みにとらわれない土壌を作ることができれば、ビジョンというのは必ず定まってきます。それは、共感の力で JC の対内メンバーだけの共感ではなく、対外メンバーも含んだ共感をどうしていくかというのが、この共通ビジョンをみんなで持つ上ですごく重要なのかなと思いながら聞いていました。
次はひとづくり事業ですが、さきほど米田理事長が県のスタートアップの話をしてくれたので、それに触れると、 僕は市長に就任してから、 スタートアップをやりたいとずっと思っていました。でも、知事の方が早く就任されて、 「SCOP TOYAMA」というものが世に出てきたときに、 これは高岡のスタートアップとは違うなとはっきり思いました。それは、上場企業の育成、 要はベンチャーで新たなものを立ち上げ、いろいろな肥料をやり育てていくというのが県のスタートアップ。 上場企業が生まれるまちが魅力なのか、それとも何にも
ないと思っているまちにも、何かを自分たちで生み出していけるんだっていう小さな成功体験をたくさん持ってもらえるまちのどちらが高岡にとってメリットがあるだろうと思った時に、何かが失われていく中でも新たな挑戦をする若者が生まれるまち、 こっちの方が僕は高岡に合っていると思いました。
上場させるベンチャーを産むんだ、というようなことを言う方が、今の時代の主張には合っているのかもしれませんが、一高岡市民の角田悠紀にとっては、好きなまちはどちらかというと、 小さなスタートアップのまち。副業でも良いし、 今子供が小さくて数時間しか働けないけれども、やりたいことがあるという方とか、 親の介護があってやりたいことができないけれども、少しの時間ならできる、というような方々、そういった人たちが活躍できるまちこそ、持続性が高いまちなのではないかというのが僕の想いです。なので、今まさにJCのひとづくりで取り組まれている飲食、 製造業に高付加価値を生んでいくこと、 高校生たちが、 自分たちがこのまちにインパクトを残すこと、 こういったところに大変期待させていただいていますし、その経験を通して、 次の時代の人たちに高岡は夢が叶うまちだと伝わっていくことを期待しています。
例えば、小学生の女の子のケーキ屋さんになりたいという夢を全力で、 みんなで応援するまち。 本当にその夢が叶うまで中学生になっても高校生になっても大学生になっても、 行政だけではなく、 地域も商店街も経済界も応援できるようなまちの方が、 U ターン率が上がるのではないかと思っています。 これを成功させるためには行政だけではできないので、それに賛同し、 参画し、 この人づくり事業をやってくれている青年会議所に、心から敬意を表したいと思います。
次はひとづくり事業ですが、さきほど米田理事長が県のスタートアップの話をしてくれたので、それに触れると、 僕は市長に就任してから、 スタートアップをやりたいとずっと思っていました。でも、知事の方が早く就任されて、 「SCOP TOYAMA」というものが世に出てきたときに、 これは高岡のスタートアップとは違うなとはっきり思いました。それは、上場企業の育成、 要はベンチャーで新たなものを立ち上げ、いろいろな肥料をやり育てていくというのが県のスタートアップ。 上場企業が生まれるまちが魅力なのか、それとも何にも
ないと思っているまちにも、何かを自分たちで生み出していけるんだっていう小さな成功体験をたくさん持ってもらえるまちのどちらが高岡にとってメリットがあるだろうと思った時に、何かが失われていく中でも新たな挑戦をする若者が生まれるまち、 こっちの方が僕は高岡に合っていると思いました。
上場させるベンチャーを産むんだ、というようなことを言う方が、今の時代の主張には合っているのかもしれませんが、一高岡市民の角田悠紀にとっては、好きなまちはどちらかというと、 小さなスタートアップのまち。副業でも良いし、 今子供が小さくて数時間しか働けないけれども、やりたいことがあるという方とか、 親の介護があってやりたいことができないけれども、少しの時間ならできる、というような方々、そういった人たちが活躍できるまちこそ、持続性が高いまちなのではないかというのが僕の想いです。なので、今まさにJCのひとづくりで取り組まれている飲食、 製造業に高付加価値を生んでいくこと、 高校生たちが、 自分たちがこのまちにインパクトを残すこと、 こういったところに大変期待させていただいていますし、その経験を通して、 次の時代の人たちに高岡は夢が叶うまちだと伝わっていくことを期待しています。
例えば、小学生の女の子のケーキ屋さんになりたいという夢を全力で、 みんなで応援するまち。 本当にその夢が叶うまで中学生になっても高校生になっても大学生になっても、 行政だけではなく、 地域も商店街も経済界も応援できるようなまちの方が、 U ターン率が上がるのではないかと思っています。 これを成功させるためには行政だけではできないので、それに賛同し、 参画し、 この人づくり事業をやってくれている青年会議所に、心から敬意を表したいと思います。
最後にまちづくり事業です。東京のインバウンドと地方のインバウンドはまず違うと思っています。何でもある東京と、何にもない地方、そこにやって来るインバウンド。
恐らく目的も違うし、落とすお金の種類も違うと思います。一つ例を挙げると、高岡に来ている旅行者で、アジア系の方々はツアーで来ている人が圧倒的に多いんです。 また、 欧米系の方々は単独で来られる方もおり、 その方のほとんどが高岡に来る前に、 金沢を訪れています。金沢に行って歴史を学ぼうとしてきた人たちが本物を見に行こうと高岡を訪れています。例えば古城公園は、 ある意味そのまま残っています。 僕は先輩たちがきれいに残してくれたからこそ本物のあるまちだと思っています。この価値を分かる人たちは何度でも来てくれていますし、 日本という国に憧れて、 東京ディズニーランドに行くこともできたのに、高岡を選んで来られる方々には、 それなりの理由があるとも思っています。 でも、 僕たちが今からディズニーランドを作るよりも、今ある「光」を、見てもらえるものを磨いていく。
インバウンドをどう捉えていくかっていうと、 私たちの 『日常』 をインバウンドの受け皿にしていくことが重要と考えています。
別のラジオ番組で米田理事長から ASPAC(日本青年会議所が所属するアジア・太平洋地域会議の通称)で勝駒がものすごく人気だったという話を聞きました。しかもそれが純米酒だと。 大吟醸や特別吟醸酒が人気なのはわかるけれど、 並んでいた日本のいろんなお酒の中で、 純米酒の勝駒を飲んで頂いた外国の方々の目の色が変わったという話でした。 その話を受けて、 『日常』に焦点を当てた私の仮説はやっぱり間違っていないなと思いました。
旅行に行くときはいろいろと調べてから行くと思いますが、高岡市には銀座もディズニーランドもないっていうことが旅行者に伝わっているはずなのに来てくれるわけです。自分たちの暮らしているこの社会こそ、観光の地になっているんだっていう事実をまず受け止めなければなりません。そうでないと子供たちがこのまちには何もないって言うのを絶対に変えられません。 今ある高岡の素晴らしさをいかにして伝えていくか、 高岡商工会議所の塩谷会頭がこの何もないまち高岡というものに反論を出しています。
何かというと、塩谷会頭がこれまで暮らしてきた中で、高岡のまちが進化してきているということを仰っています。 塩谷会頭が、 まだ小さかったころはおそらく大型スーパーなどは無かったはずなんですよね。公共交通だって今と全然違う。 高岡はどんどん進化していって、今は暮らしに困らないまち高岡になっていると言います。ディズニーランドもない、 横浜アリーナもない、 でも、市民の人たちが何もないまち高岡っていうのは 「何」がないまちかを問うていかないといけないと思っています。ほとんどの人は、IKEA やコストコなどの商業施設が欲しいと言います。しかし、 誘致はしているけども、行政だけでは絶対に無理です。
売上が立つかどうかで判断されるビジネスだからです。人口減少対策や地域活性化をして、人口を増やし、そこを商業圏として企業に認めさせない限り、皆さんの欲しい、 「何」は埋まらないはずですよね。 でも、商業施設を除いて何もないまちどうか、もう一度考えるということが、僕はこのまちづくりにおいてインバウンドを取り込むためにも、すごく重要な観点なのかなと思っています。市民は気づいてなくても、海外の人が気づいていることもあるんじゃないでしょうか。 僕としてはそういった何もないまちの「何」の部分が何なのか、高岡市民が理解できるようになれば、塩谷会頭が仰る、 何でもあるまち高岡としてすべての世代に広がると考えています。
今の高岡からどういう進化を遂げることで、自分たちより若い世代から、「何もないまち」ではなく、「何でもあるまち」と受け取ってもらえるのか。高岡は何もないまちだと我々の世代が言うのではなくて、現状を理解して、次の世代に二度と同じことを言わせないためのまちづくりをすべきだと思っています。だから僕が高岡市の総合計画で次の世代、またその次の世代から共感してもらえるまちづくりをやろうと言っているのは、次の世代に「何もないまち」と言ってほしくない、思ってほしくないからです。この想いに共感して、一緒にまちを進化させていこうっていう人たちこそ、これからのまちを共に創っていくパートナーであり、ステークホルダーだと思います。ぜひ青年会議所には、こういった観点を大切にしてもらって、まちづくり事業を進めてもらえたらいいなと思っています。
【角田市長の JC への想い】
角田市長:僕は JC に35歳で入会したときすでに市議会議員だったんですよね。その際に約束をしていて、選挙活動のために JC には入らないって決めていました。よく顔を広げるために入ったらいいんじゃないって言う人もいるんですけど、僕は別に顔を広げる必要はなかったので、それよりもこの組織で何を学べるんだろうっていうことをすごく大事にして入りました。 当初紹介してもらったときは、入らないって突っぱねていたんですけど、何度か一緒に活動しようと説得されて入会することにしました。入会後は、何を学ぶべきか、どこに学ぶものがあるんだろうかと意識することを大事にしました。はじめはメンバーと一緒に飲みにいくこともあまりありませんでした。そんなことするために入会していないからです。人脈を作ろうなんてことも思ってなかったです。メンバーの良いところを盗もう、成長のきっかけにしてやろうって想いが強かったですね。それで、他の委員会とか、色々見に行かせてもらって、勉強させてもらいましたが、やっぱり一番勉強になったのは、「物事をどこに立って話をするか」ということでした。
まず、何かを始めるときは、 目指すべき姿からはじまります。目指すべき姿を描いて、それを達成していくために、どんな手法で事業をやっていく必要があるのか、最終的には、事業を通して、目指すべき姿に近づいているのかっていうフィードバックをし、バックキャストをする。このバックキャストっていう考え方は、JC に入ってなかったら多分なかったと思います。 頭の中ではバックキャストの考えは理解できていたと思いますが、より言語化できるようになりました。自分がやっていること、目標に対する立ち位置、現在地を正確に理
解して、言語化できる人は、すごく少ないと思います。JC という組織は、こういったことを言語化する組織だと思っています。
そもそも入会するまで「目指すべき姿」って項目は見たことがなかったですね。 サマリーの一番上に 「目指すべき姿」と書いているのを見たとき、恐ろしい団体だと思いました。 (笑)
でも、目指すべき姿を想像したとき、何が必要なのか、どうすべきか、すごく分析するようになりました。JC は、自分の考え方を言語化する術を与えてくれました。それがあるから、今市長をできている気がします。自分の考えを頭の中で整理して、言葉にして、原稿を見ずに話せるかどうか、ここが JC で鍛えられたと思います。理事会などの会議の場での答弁でも、何かを見てしゃべったことはないです。基本的に何事も短く説明しなさいっていうけど、僕は説明しなくても「書いてあるとおりです。 質問お待ちしてます」ってスタンスで
した。でもそれは、それだけ自問自答して、事業に対する思いやどう組織を、まちを変えられるのか、言葉にする自信があったからですね。
SDGs担当の委員長の時は、テーマを「きれいごとを、きれいごとじゃなくする」という一言にまとめました。政治家なんてきれいごとしか言わないですよね。 でも、きれいごとを正論に変えないと戦えません。SDGsはまさにその通りで、 いいことがいっぱい書いてあるけれども、それがなんで社会的な課題としてあげられているのかというのは、きれいごとをきれいごととして堂々と解決できないからでしょう。僕は、きれいごとを堂々とやる社会をつくるんだということを、SDGs担当の委員長の時に強く主張しました。もちろん、きれいごとを貫くことは難しいことで、葛藤もありましたが、それだけ想いに共感し、 共に突き進むメンバーもいました。そんな純粋な想いで共に活動してくれた、素敵なメンバーが数多くいた魅力ある組織が、高岡青年会議所だったなと思います。本当にたくさんの経験をさせてもらいました。
【持続可能な未来都市高岡について】
角田市長:そもそも、SDGsを推進する日本最大の団体が日本青年会議所だったし、さらに高岡JCでSDGsに関する委員長まで務めた自分が、持続可能なまちづくりということを謳わないわけにはいかないと思っていました。
まず、絶対に持続可能ではないものは何かというと、公共施設や公共インフラなどのハード面のものです。建物、インフラは必ず朽ちる。逆に持続可能なものは何かといえば、まちへのアイデンティティだと思います。このまちは、 子どもを大切に育てるまちだ、次の時代のことをしっかり考えるまちだという精神が受け継がれていくことが僕は持続可能なまちだと思っています。
要は、ちゃんと次の世代にメッセージを残して、このまちを繋ぐ。形は変わっても、高岡市がなくなったらいいと思う人はいない。守るべきは自分たちのアイデンティティなんです。高岡市に対する郷土愛や高岡というまちの存在意義をかけてやらなきゃいけない。それが持続可能な未来につながる高岡。そのためには、 今僕たちの世代が苦労する覚悟も必要かもしれない。でも、僕たちが 60 代、70 代になったとき、「いい時代になった」って言える未来を、一緒につくりませんかっていうことを、市民に投げかけているのが、 「持続可能な
未来都市 高岡」 です。今日この場にいるメンバーは、未来都市高岡にはいないかもしれませんが、僕たちがやらなければいけないことは、このまちを次に託せるような形に変えて、バトンを渡すことしかないと思っています。
もちろん、ものすごい障壁もあります。でも、このままでは子どもたちに次のバトンは渡せない。僕の息子にもやっぱりいい時代にして渡してやりたい。日本全体でそれぞれの自治体が個性をもって持続していけるような社会をつくりたいし、高岡をその先進地にしていきたいと思っています。そういう想いを語り続けていると、共感してくれる方も増えてきました。誰かが変えないと、現状は変わらない、 僕が絶対に変えるんだっていう気持ちを持ち続けながら、それに対して皆さんがどうやったら共感してもらえるか、どうやったら一緒に
いい未来を創るために動いてくれるのか、汗をかいてくれるのか、ということを考え、人と接するようにしています。でもそれを意識づけてくれたのも、JCでの経験でした。
震災を乗り越えるうえで、「強い高岡」というものを掲げました。この「強い高岡」には様々な意味があります。インフラを強くするだけでは、強い高岡ではないんです。一番は自分たちのまちが強いと信じてくれる市民なんです。インフラも強いし、地域の結束も強いし、行政も備えに対してすごく強くなってきたっていう、みんなで高岡は強いって言えるように、僕の想いをこのメッセージを込めました。 復旧復興のビジョンとして掲げていますが、単に道路が液状化被害に二度とあわないようにするだけでは絶対ダメなんです。だって常に震災は自分たちの想定超えてきますから。でも精神的に、心が強ければ、みんなが「やれる!」という風に思えれば、どんなに道路が壊れていても、「さぁ、ゼロから頑張ろう」って考えられるようになる。そんな市民性をつくっていきたいと思います。
まだ、他にもやりたいことはいっぱいありますけど、一番やりたいことは、未来に向けてみんなで意識を合わせようってことです。それが 「持続可能な未来都市 高岡」 っていう、僕の掲げている将来ビジョンです。
米田理事長:角田市長のすごいなと思うのは、先ほどのラジオでも、持続可能なテーマでは、アルミリサイクルや循環などの脱炭素の話をするのかなと思ったんですよ。
角田市長:そういうのは、市役所のホームページを見てもらったらわかりますから。 (笑)
米田理事長:でも、違いました。一番大事なのは「人だ」って仰いました。これは本当にその通りだと思います。
角田市長:脱炭素も、循環も、JCでいう手法なんですよね。子どもたちにいかに素晴らしい未来を、地球を残すか。その手法が脱炭素だったり、循環型社会をつくることだと思います。僕は、地方公共団体の長なんですよね。 地方公共団体の長が、手法の話ばっかりしていてもだめだと思っていて。僕ができることは未来の話だと思っています。
こんな未来を創っていこうというビジョンがあるから、脱炭素に挑戦するし、SDGsに取り組むし、教育改革にも取り組む。そういう未来の形をぶれずに持っているっていうのが大事だと思っています。でも簡単に変えられないものもあるから、いろんな施策を展開して、現場で市民の声を聞きながら創ってきています。例えるなら、JC の議案でいう、目指すべき姿のところに角田がいるから、 僕が方針、未来を示すことで、市役所の各部局は事業を作ってきてくれて、それを会議等で、 僕が考えているこれからの高岡の未来の形にはまるのか、はまらないのか、もしくは何が足りていて、何が足りていないのかという議論をしています。
そうすると、整理がしやすいんです。 この整理の手法は、全部JCの議案を作成する経験からからきています。なかなか議案を書く経験ができるところってないと思います。そう考えると、やっぱりJCはすごい面白いと思いますね。
【市民、行政、企業、団体のパートナーシップについて】
角田市長: (JC時代に)SDGsパートナーを立ち上げる時、米田理事長とふたりで市役所に行って、「こんなの意味ないじゃないか」って言いにいったんですよ。(笑)
何かっていうと、他県の成功事例をもってこられて、「他の自治体が、SDGsパートナーっていうのを実施しており、企業がこれだけ参加しているんです」という報告をもらったんです。でもそれになんの意味があるんですか、と言いました。当時はただのJCのSDGs担当の委員長でしたけど、本当に高岡にメリットがあるのか、 意味があるのかわからなかったので。
だから、大事なのは、パートナーとして協力するとき、何をしてもらうかだと思います。
例えば、協力してくれる企業がいたら、その企業の特徴、特色を活かして、SDGsを具体的に達成できるような取り組みをやっていただけるのかどうかだと思います。とにかくパートナーの数を集めようってことなら、意味はないと思います。彼女、奥さんのこともパートナーって言いますよね、 それは必要なものを埋め合える関係だからだと思います。それと同じような関係を結ばないとダメだと思っていて、パートナーシップは、地域や行政、 企業がお互いにないものを埋め合えるような関係をつくらないといけません。行政があって、市長がいて、その下に各種団体がいるっていうようなパートナーシップは必要ないと思います。車で例えるなら、四輪じゃないとダメなんです。行政、地域、企業、各種団体のそれぞれが車輪になって、一緒に走れるようにすべきです。そんな協働で、役割がしっかりしたパートナーシップが必要です。そして、 それは先ほどもあったビジョンにも関係してきます。
大きなビジョンを達成するために、行政の役割、地域の役割、経済界の役割、それぞれが違う立場でできることをやって、どうやったら同じビジョンを達成できるかを考えるから、団子をさしたような、横ぐしの通った関係になると思います。
大事なのは、苦手なことも埋め合えることです。高岡青年会議所の苦手なこともいっぱいあると思います。だからこそ、お互いに助け合える関係を築くことが、ビジョン達成に非常に重要になってきます。それができなければ、パートナーとしても成立しないと思いますし、そういった、共通の認識をもつパートナーがこのまちには必要だと思います。そして、それを結びつけるのが、ビジョンですね。これを理解していると、頭の中がクリアになると思います。お互いの弱さを埋め合える関係が、僕の理想とするパートナー関係ですね。
米田理事長:パートナーということでいうと、角田さんが市長になってから市役所の人たちとの連携が随所でとてもしやすくなった印象があります。2020 年の時の委員長していた時もそうでしたし、全国城下町シンポジウムの時も。
角田市長:苦労したよね。市議会議員の時も苦労したから。
米田理事長:平成の御車山を動かそうとなったときに市役所に伺ってお願いしたんですが、たらい回しされたように感じました。でも、角田市長になってからは未来課を必ず窓口にしてくれるので、なんでも話してくれるようになりましたし、事業とも連携しやすくなったな、という印象があります。
逆に、高岡市の方から連絡を頂き、少し相談に乗ってもらえませんか、高岡市の事業に対して意見いただけませんか、ということもありました。前は営業部とか、それこそ先ほどのSDGs パートナーの件で。
角田市長:全国の市役所に「営業部」ってあるんですかね。高岡市にはあります。正式な部局ではありませんが、 主任級のメンバーが様々な部署から集まって、普段の仕事ではないことで事業を起こしたり、課題解決策を検討したりしています。
司会:株式会社高岡市役所ですね。
角田市長:そうです、その一環で始めました。前職で報道記者をしていたとき、行政へ取材することが多かったし、市議会議員になってからも行政の人と一緒に仕事をする中で感じたのが、こなれた小役人みたいな役所の職員が非常に多いということでした。「それうちじゃないです、4階です」という感じで、捌くのだけうまい職員が多かったんです。
僕からすると、 若手の職員がそういう風になってしまうと、市役所の中から大切な 「ひと」という財産が失われるという危機感を覚え、主任になったばかりの若手ならまだ変われると思いました。職員全員の履歴書を見ても、「高岡のために自分の力を発揮したいと思います」と、たくさん書いてありますが、数年経ったら、 「あっち行ってください、こっち行ってください」 と言い始めるんです。あなたたちの初心はどこに行ったんですか、というのは報道記者の時から思っていました。今与えられた職責の職場と違う仕事もしながら、 市長の想いに近いところで一緒に話ができる場所を作らなきゃだめだと思い、営業部を作りました。
営業部のメンバーとは結構くだけた感じで話しています。民間感覚とかってよく言いますが、 部長クラスの方たちが今から民間感覚を持つのは難しいと考えています。40年間そういう仕事をしてきた人の意識を変えることに労力を使うより、まだ意識を変えられる若手と話をして、否定できない企画書を部長にあげてくれれば、あとは僕がハンコを押すだけ。
そのような組織になればいいなと思っています。
この前、とある町会議員の方から、高岡市役所の採用試験受けていいですか?と聞かれました。町会議員ではやりたいことができないから、高岡市の職員でやらせてほしいと。若手の人たちは、やりたいことをやれないという葛藤があるんだろうと思います。でも、その葛藤を少しでも挑戦のエネルギーに変えてあげて、やりたいことができるような形に変えてあげることで、下から突き上げるボトムアップ型の体制を作りたいです。そして、部長がしっかりと部下の責任を取る。もちろん最後は僕が全部責任取りますが、 各部長のもと、 そういう動きが始まってきたらいいなと思っています。そうすれば僕がもっと外に出て、もっといろんな人たちと関われるようになります。今内勤が8割くらいかな。これはできれば5:5くらいまで持っていきたいです。僕が外へ行って喋るのが一番相手に対して伝わると思っています。市長がやるべきことと、職員がやるべきこと、部長がやるべきこと、全て違うと思います。 僕は中の仕事がしっかりしてきたら、もっともっと外に出ていきたいと思っています。そして、高岡をもっともっと宣伝したいと思っています。
【市長就任4年目に向けた現在の想い】
角田市長:3年前の7月12日となんの気持ちも変わっていません。最後の1年だからアクセルを踏もうと思ったら多分ガソリン足りないですね。今から始めるのではもう遅いと思います。就任した初日からずっと自分なりに与えていただいた4年間のイメージを持ってきました。 うまくいっている部分もあれば、 うまくいっていない部分もありますが、それを今4年目だからといって軌道修正しようなんてことはさらさら思っていません。でも、できていない部分とか、もっとやりたいなと思うことは山ほどあるし、それだけは無尽蔵に湧い
てくるから、それを1つずつやっていく1年間なのかなと思っています。
正直なところ、 僕は高岡市長がこんなに大変な仕事だと思っていませんでした。でも、 とても面白い。体はきついし、人からも言われたくもないことをたくさん言われるし、事実じゃないことも事実のように伝わるし。でもそういう人たちのほとんどは僕と喋ったことがない人たちです。僕とちゃんとお話していただいた人たちには伝わっていると信じて3年間やってきましたし、最後の1年間も同じように誠意を持って務めていきます。
相手の話を単に聞いて、 適当な相づちをすることは、僕にとって誠意ある対応じゃないと思っています。正しいことは正しいと認めるし、間違っていることは間違っているとちゃんと伝えることが僕は誠意ある対応だと思っています。少なくとも最後の1年間もこの3年間と同じ様にアンテナ高く、危機管理意識を持って、自分の志、考えをぶれずに持って進みたいと思っていますし、 それが一日も早い復興復旧につながると思っています。とにかく、僕は効率主義者なんです。暇な時間が一番嫌いなのでどうしたらこの間埋まるかなとか常に考えてます。だから秘書課は大変ですよね、 パンパンに予定を入れているので。 先ほど確認したら、この対談の後にも3つの協議が入っていました。
でも、 それは対内の話です。今日は対外で僕がみなさんと会っているので、どちらが優先と言われたら、 僕は対外、外に向けてのメッセージを出させていただく機会があるなら、それに誠心誠意向き合うのが僕の仕事かなと思います。
司会 :ありがとうございます。我々高岡市民のリーダーである市長の現在の思いを伺う中で、持続可能な地域というキーワードで対談をしていただいたんですけども、そちらに関しても、本当に熱い思い、市民の思いを変えたいんだという熱い思いを伺うことができまして、今後も、青年会議所活動だけではなくて企業での活動、あと、連携を深めていくということの大切さを改めて実感させていただきました。本当にありがとうございました。
角田市長:そんなお言葉をいただきましてありがとうございます。
司会:はい、ありがとうございました。以上で対談を終了いたします。